
スーパーに買出しに行って
2015年11月12日
なんやかんや言っても、わたしは、どうにか、やっていっている。
少々、難はあるかも知れないが、わたしなりに、自分の好きなテイストの空間を創りあげている。
ダイニングから遠く向こうに見えるウインドウ?ピクチャーは、けっこう、気に入っている。
緑は、こころを和ませる、癒し効果がある。
わたしは、自分のことを開けっぴろげに書かない、と、ある方からご指摘を受けた。
そう、なんです。
わたしは、自分を開示する分野を決めている。
開示するのは、マイナス部分。
プラスの部分は、言わない、開示しない、公言しない。
言っても、自分が楽しくなるわけじゃなし、というか、むしろ、気分がよくない。

ああ、わたしって、ダメなひと???
そういう陶酔感のほうが、わたしには、快感なのだ。
良いと自負している部分は、ひとが聞くと、「何て、嫌なヤツなの???」と感じられると確信している。
懺悔の逆だ。
自分の良いと思うところは、思い上がりすぎて、公開できない。
(ところどころ、抑えきれずに噴出してしまっているそうだが)
嫌な部分は、本当の自分ではあるが、いくらかデフォルメされて表現されているので、
いつの間にか、本当の自分を離れ、一人歩きしている。
一人歩きした、へんな自分と遊んでいると、とても楽しい。
その、へんな自分と遊んでいるところ(ブログ)を、不特定多数の人に、見られても、なんの支障も差し障りもない。
心象風景は、実際の風景とどうリンクするか。
ブログで、もう一人の自分と戯れているだけなので、リアルライフを一緒くたにしてしまわれると、
多少の不具合が生じる。
その部分、リアルとブログに多少のズレがあること、ブログ?ラグを強調すると、
リアルなわたしを知らない、ブログでしか、わたしをご存じない方に、
不信感を抱かれる。
なあんだ、虚偽の世界も混じっているのか???と。
虚偽ではないのだが、ぴたっと、まるまるリアル世界の話でもない部分もある。
どう言えばいいのか、難しい。
リアルな世界を、わたし=スロー、という表現者が書くと、ピカソの絵みたいになるのだ。
そのピカソの絵を見て、目の位置がおかしい、身体がへんだ、と言う人は、それはそれで、正しい。
襟を立てて、シャツを着ている人に、「あなた、襟が立っていますよ」と注意するようなもの?
おんぼろファッションで、穴あきジーンズを着ている人に、「あなた、穴が開いていますよ」と指摘するようなもの?自分で造語を作って用いた時に、「そんな言葉は、日本語にはありませんよ」と、お叱りを受けるようなもの?
ブログネタと、一口に言ってしまえば、それまでだが。
たかが、ブログではあるが、わたしは、このブログで、自分を救済している。
救われている。
だって、楽しいから。
特定の人を誹謗中傷したりするのはよくないが、そんなことは、一切、する気もないし、
したところで、楽しいどころか、マイナス効果しかない。
ひとしきり、ぶつくさ書いた。
さて、???今から、オサンドンの材料を買いに、こようかな。
ごく普通のことも、ふつーに、やってます。わたし。
(わざわざ、食品だけを、買い物のためだけに買いに行くのは、久しぶりだが)
と思ったら、どえらい突然の雷雨。
娘夫婦に出す食事???おもてなしどころか、あり合わせのものに、なってしまう可能性が出てきた。
アリエッティの母だから???しかたないかあ???
Posted by 山嵐は決して at 11:29│Comments(0)